ガールズちゃんねるで、最近陰謀論についてのトピがよく立っていて、一時期はトピ立てしても立たなかったのに、最近トピがよく立つのは何故かと議論されている。
https://girlschannel.net/topics/5113558/
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『キャロルの終末(CAROL and the end of the world)』というネットフリックスのドラマを見ました。ネタバレします。
アメリカのアニメで、シワやたるみの出た中年女性のキャロルが主人公。
あと七ヶ月余りで惑星が地球に衝突することがわかっていて、終末がゆっくりと近づいている世界。
そんな世界で元々物静かなのに、さらにすっかり気力を無くしているキャロル。
テレビを見てもつまらない。
スーパーマーケットも道もゴミが散乱して荒れている。
死ぬ前にと、エジプトやチベット、パリなど観光旅行に精を出す人々や、野外コンサートのドンチキ騒ぎを楽しむ人がいるけど、キャロルはどうしても意味を見出せない。
お気に入りのレストランは閉まってしまった。
そんな中、ピシッとした格好でキリッとした雰囲気の女性を駅で見かけてついて行ってみると、終末が近づいている世界で、きちんと働いている人々がたくさんいた。
そこで黙々と働くことで、心の安定を得ていくキャロル。
みんな他人とは交流せず、自分の仕事を黙々とやるだけだけど、キャロルはまずそこで働く人たちの名前を覚え、交流が生まれていく。
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途中見るのがまだるっこしいところもあるけれど、全10話とても良かった。
アニメの色合いや、音楽のチョイスも良かった。
終末が近づいている世界で自分はどんなふうに生きるだろうか。
自分もキャロルのように、日々変わりなく過ごしたいかもしれない。
働いている方が気が紛れていいかも。
今の自分は、働く前のキャロルみたい。なんだかどうもつまらなくて。
特に困っていることもないから、贅沢な悩みなんだろうけど。
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聞き取りやすい英語で、日本語字幕にしたり、英語字幕にしたりしてみている。
CARPE DIEM とは「今この瞬間を楽しめ」という意味のラテン語らしい。
アニメでこの言葉が出ていた時の周りの反応から推測すると、もっとはっちゃけた訳の方が合う感じがする。
モヒカン刈りのバイクで暴走する人たちがこの言葉を肯定している感じから。
潔い諦念というよりは刹那主義的な快楽の方が近い感じ。
哲学的な感じよりも「ただ楽しめ」的な。
sobbing とは泣きながら体を震わせて喘ぐ様子をいうらしい。
泣くと言えば、cryしか知らなかったけど、こんな言葉があるんだな。
花火が打ち上がる音もいろんな表現があるんだな。
実家に時々帰りながら兄弟交代での介護生活を送っています。
何か楽しみがないとやってられんと、帰省するたびに親を連れて外食しています。
最近は田舎でもご夫婦でおしゃれなカフェをされたりとかがあるので、そういうのを1軒ずつ回っています。
先日はカップケーキを売っているところにはるばる行ってみたら、1個四百円もしたりして失敗でした。
そうかと思えば、ものすごく美味しいのに、駐車場がなくて、リーズナブルなパンを売っている所があったり。
帰省のたびに、外食とケーキ屋とパン屋は行くことにしています。
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春になってきて、夏野菜の植え付けの準備などもしなくては。
やはりスーパーで買わなくても畑に何かしらあるのは、とても助かります。
うちは実家から、2年前ぐらいに蕗、ニラ、ミツバを移植しました。
毎年生えてくれるので、助かるけれども、蕗は癖があるので年に1回食べるぐらいで良い感じ。冷凍するにしても茹でて筋を取って冷凍したのをジップロック1回分あれば十分かな。
実家に帰ったら、たけのこの収穫、梅の収穫、玉ねぎの収穫、スモモの収穫やらが待っています。
たけのこは消化に悪いのであまり食べたくないけど、たけのこのうちに取っておかないと竹藪がえらいことになってしまう。
竹になってから伐採するより、たけのこのうちに取ってしまう方が楽。
梅は梅酒にして梅酒のゼリーにするとデザートになるし、スモモはタネを外して小さく切って冷凍しておくと、これもゼリーにできるので良いです。
実家で農作物を収穫したり畑を耕したりなど農耕生活を送っていると満足度が高い。
こちらの家で、読書をしたり、Netflixを見たり、外食したり、ショッピングセンターに行ったりなど、消費生活を送っていると、楽しいけれど心からの満足が得られなくて何か虚しい感触が残る。
本当は実家で農耕生活をしたいけれども、主人の仕事の関係や子供の学校でこちらを離れることはできない。
何か虚しさを紛らわすために、ショッピングに出てみたりする。
どうしたものかな。
母が亡くなり、一人では暮らせない父の世話や実家の土地をどうしたものかと。
度々実家に帰って世話を続けているものの、これを後何年も続けられはしない。
実家の家屋敷、田畑、山林、竹林。
母が元気な時は、いろんな作物がとれ、多種多様の実りをもたらしてくれた豊かさが誇らしくもあったけれども、母が亡くなった後それが一転し、豊かな実りを自分で収穫し、袋に詰めて販売所まで持っていくだけでも大変でその広さが負担に感じられる。
米を作るにしても、耕運機、田植え機、コンバインなどの稲刈り機を購入し所持し使用するのは親の代でやめ、人に頼んでやってもらっている。
実家の近所もだいたいそんな状態。
誰かに頼んで米を作ってもらうより、米を買った方が安くても、長年の習慣と、飢饉への恐れがあって、大体は米づくりを続けている。
農作業自体は好きだけど、そんな広さは必要なくて、自分の年齢から言って、あと10年もできるかどうか。
私の子供達は子供の時から農作業をほとんどやったこともなく、相続しても持て余すだけ。
固定資産税と家の維持費が重荷になってくる。
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父はまだ移動、トイレ、食事(食事の用意はできないが)、風呂は自分でできるので、介護が必要となるまで、実家で死ぬまで暮らさせてあげることができれば良いかもしれないが、母が死んだ後父も元気がなくて、消化試合のような生きてる意味を感じられていない雰囲気がある。
自分もあまり実家にかまけていると、夫や子供の負担が増して、こっちの家族が壊れかねないし、施設に預けるしかないかなという状態。
発言小町で、いろんな意見を目にしているけども、田舎の土地を相続したって負担になるだけという意見が多い。
発言小町で、「家を継ぐ」ということは、結婚し、子供をもうけて、家を存続させていくということを意味するので、結婚をしなかったり子供をもうけないものが「家を継ぐ」と言っても継ぐことにはなっていないと。
子供を女しか生まずに、後を継げと言ってもよっぽどの資産家でない限り婿養子に来てくれるものなぞいはしない、婿養子にこだわっていたら、結婚することはできない。
家を存続させたいと思うなら、男の子を三人は産め、そしたら一人ぐらいは跡を継いでくれるかもしれないという意見を目にしてなるほどなと思った。
確かに男の子がいる本家もその子が結婚しないまま、50代になっているので絶ることは確実。
こうやってブログに書いていると、考えが整理されてとても良い。
自分がああしたらよかったかな、こうしたらよかったかなと悩んでいることも、それ以外の選択肢はなかったんだなと気づけられた。
自分は跡取り娘にも関わらず、家を出て婿養子を取らずに結婚し、相手の姓になった。
しかし婿養子を取ることにこだわっていたら、結婚はできず、私の代で家は絶えていただろう。
もしも夫に婿養子に入ってもらったとしても、気の強い母と折り合いがうまくいかずに離婚するか、別居することになっていただろう。
母は私が子供をもうけたあと、私が離婚して子連れで実家に戻ってきてくれることを望んだこともあると言っていたが、離婚するような家では子供がうまく育たないから、そうしなくて良かったんだと言っていた。
自分の選択で良かったのだと思う。
中には婿養子に来てもらっている家もないことはないけれど、そこは舅姑とも婿養子に従っていそうな気の使い方をされている雰囲気のお家だ。
うちではきっと無理だった。
自分の選択で良かったんだと、考えが整理されて良かった。
これがブログの効能だと思う。
2月6日に熱が出て体調を崩してから、今日3月17日になり一ヶ月以上たっていますが、どうも味覚がおかしいままです。
何を食べても以前のような味がしないのです。
味噌汁や肉じゃがも、どう味噌を入れても醤油を入れても何か味がしないというか薄いというか。
一年ほど前からタピオカミルクティーも遅れて自分の中でブームになって、時折買い求めるのですが、もともと甘さ控えめではあるけれども、以前ほど美味しく感じられなくて、おいしさがいまいちわからなくなってきました。
カレーも香りが感じられないし、味もしない。ただちょっとピリッとはしました。
年寄りの作る料理は味が濃いと聞いたことがありますが、それなんでしょうか。
楽しみって食べること、外食ぐらいしかないのに、それさえも楽しめないなんて。
そのうち回復してくると良いのですが。
体調はほぼ回復しましたが、まだ痰が絡み肺の底に痰がへばりついていて、花粉で咳が出たりする状態です。
花粉症も体調によっては全く感じない年もあるのですが、今年は咳もでる、痰も出る、目も痒いとまあまあヘビーな状態です。鼻水はそれほどでもないかな。
何か楽しみを見つけなくてはやってられんと思いつつ、服のストレス買いや、本や雑誌を買うことで紛らわしている状況です。
味がしないのは、亜鉛や鉄の不足なのかもしれないです。
2月6日から咳や痰、熱の症状があって、なかなか回復せず家事がようやくできるかどうかの状態が長く続き、今日19日ようやく咳や痰が回復の兆しが見えてきました。
遅れて発熱した主人は検査してコロナ陽性だったものの、どうも私とは症状が違います。
主人は喉が痛くて、物が飲み込みにくいと言ってましたが、私は全然そんなことはなく。
私は胃腸が弱ったのか、しばらくずっと卵豆腐、すりおろしりんご、ゼリー、おかゆ、バナナぐらいしか食べれず、食べれるかなと思って食べるとお腹を下すの繰り返しで、すっかり体力が落ちました。
熱が出る前に食べてた納豆や食べる気になれず、味噌汁も長い間作る気になれず。
私はコロナではなく、胃腸風邪かそれとも黄砂なのかなと思います。
車にも黄色い汚れがついていますし、黄砂の飛び始めは熱が出たりしますし、咳は夏ぐらいまで続くか、それともゴールデンウィークの花粉が終わるまで続くかなという感じです。
黄砂も花粉も大丈夫な年はぜんぜん大丈夫なのですが。
昨日までは痰が上がってくるのに耐えられず、龍角散を舐めていました。
以前から龍角散の飴は咳や痰を抑えるにはよく効くのですが、ずっと舐めてると痰が排出されずに濃縮して肺の底に溜まってしまい、咳をしても何をしても出てこなくなる感じがしていました。
そういうよくない点を分かった上で、それでも痰の上がってくる不快感に耐えられず龍角散飴を舐めていましたが、昨日から痰は出るもののようやく飴をやめれました。
この調子で痰を排出していけそう。
体調が悪い時は、スマホしか見れなくて、本を読む気にもなれず、スマホ見てうとうと寝るみたいな状態でした。
体調を崩してからどうも自分で作った物を食べる気になかなかなれなくて、昨日は昼食夕食を外食にして、昼食ではフレンチトースト、スクランブルエッグ、ベーコン、レタス、パイナップル、ミルクティーをいただき、夕食はそばと天丼をいただいて、ようやく今日は少し元気が出てきて、味噌汁を作れました。
もしかすると、レタスなどの生野菜不足とか、水分不足、栄養不足だったのかも。
久しぶりに蓮村誠さんの本を読んで、白湯を飲んで消化力を上げていかなとと思ったり。
昨日久しぶりにショッピングもできて、やはりこれが元気の元だなと思いました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/c05c33d050fa7b33836c0dd95916a431281be1cf
パートも辞めてしまって、もう介護と家事しかやることがなく、生き甲斐がない状態の私です。
介護の本を見ますと、介護離職はするなと散々書かれています。
たとえパートで年収が100万に満たないとしても、10年働けば1000万円近くにはなったのですが。
それでもあの状況では辞めざるを得なかったし、立ちっぱなしの仕事がきつくて、今からもう一度働けと言われてもしんどいなと思うので、介護と家事だけしてればいいのはありがたいことなんだと思います。
主人の定年後、年金だけで慎ましく暮らしていかなければなりませんが、節約生活ってつまらなくてできそうもない。
海外旅行とまでは言わないけれども、贅沢だけど毎週1回外食できるぐらいだとなんとかやっていけるかな。
子供が小さい時は、外食は月に一回までと切り詰めて節約していたんですが、いまはその我慢がどうにもできません。
私の母親は働いている間は本当に節約して、私が子供の時は外食なんて年に一回もなかったですし、旅行も数年に一回でしたが、そんなことには今はもう耐えられないです。
お金を使わない時間潰しとか、お金儲けができたらいいですが。
本屋で『医者が教える非まじめ老後のすすめ』を見つけて、老後はこれぐらい気楽に行きた方がいいかもなと思いました。
老後のことを考えて、節約に励むのが堅実なんですがね。
親を見てると自分も長生きはしたくないなと。
80歳まで生きたらもう十分なのでは?
75歳でも生き過ぎかもしれない。
もう自分が100歳まで長生きしてしまうかもしれないプランはもう考えなくてもいいのかもしれない。
安楽死を合法化しなくても、死にたかったら食事を減らせば良いという意見はなるほどなと思いました。
普通にご飯を食べる欲は残っていて、安楽死お願いしますと言うのもおかしな話で。
どうやったら死ねるかを考えると、糖質制限とかやって、炭水化物を食べてないと筋肉が減って階段も上がれなくなり、心臓麻痺で死ねそうですし、ひもじさを感じずに死ねるからいいかもしれない。
https://togetter.com/li/2301294
発言小町のトピに「60代で親が健在の方(ほぼ愚痴)」というものがあります。
https://komachi.yomiuri.co.jp/topics/id/1121484/
コメントされているかたが、ほとんどが長年の介護で苦労されている方で、温かいコメントで溢れていて、その温かさに救われる思いがします。
親の恩ももちろん感じている、だけどそれだけでは終わりの見えない辛い介護の毎日を過ごしていけなくて、黒い感情もいだいてしまう。
いい娘、いい嫁を頑張って介護を何年もやっている。
そんな人たちがひっそりと本音を漏らす。
このトピには「黒い感情なんて持ってはだめだ」なんて正論を言う人は少しいるけどほとんどなくて、人を正論で批判する人は人を傷つけるんだななんて思います。
Yahooコメだと、正論で溢れるんでしょうが、ここはそうではない。
とても温かくて救われます。
母が亡くなって、大きな声では言えないですが、ほっとしています。
母が作った米、スーパーのより美味しいじゃがいも、さつまいも、玉ねぎなどは備蓄できてありがたいですが、大量に毎年送られてくる、美味しいとうもろこし、サトーの切り餅より断然美味しいもち、手作りこんにゃく、あまり美味しくない手作り味噌、手作りジャム、梅酒、 などはあまり嬉しくないけど送られてきていました。
これらは美味しいけど、食べ切ろうとすると、消化に悪くて、でも捨てるのも悪くて、頑張って食べて胃を悪くしていてそれでも毎年送られてきて、断るのも親に悪くてできずと非常に苦しい思いを、大学入学から37、8年ほどしていたので、母の死でやっと解放されたという気持ちです。
そうやってものをもらう苦しみを長年味わってきたので、人にものをあげるのに抵抗があります。
ありがた迷惑でも、自分と同じように大抵の人は「ありがとう」と言ってくれるので、本当に嬉しいのかどうかわからないのですよね。
母がご近所の若い人の家に野菜を持って行くと、迷惑そうな顔をされると言いながら、それでも何度も持って行く母なので、ご近所さんも本当に迷惑だったと思います。
災害時には、米、芋、玉ねぎ、手作り味噌はあると助かりますが、ジャムなど甘いものは体の調子が悪くなるのですよね。
普段食べないものはいらないんですよね。本当に。
ありがたく感謝すべきだという人もいますが、しんどいの方が大きくて。
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私より元気な母は亡くなる前年まで50年以上毎年おせちを作っていましたが、私は結婚して20年以上になるけど作ったことはありません。
味付けは美味しかったけれど、同じ料理を何日も食べるのは苦痛だし、2回も食べれば飽きるし、年末にそんなに料理を作っていたら、疲れて正月倒れることになるし、おせちにそんなに食べたい料理もない。
なので、年末におせちを大量に作り置きするよりも、正月から毎食作ったほうが疲労が少ないです。
家におせちを食べるような来客がないからということもあるでしょう。
ネットを見ていますと、おせちを毎年買うという家でも、買ったおせちをそれほど食べないことに気付いたから好きなものだけ単品で買って重箱に詰めればいいかという結論になった人もいました。
我が家も来年はそれでいいかなと思います。
おせちも高いですし。
伊達巻と、正月用のかみごたえのあるかまぼこと、ちょっぴり黒豆でもあれば十分かな。
数の子もあっても良いですが。
母と同年代のご家庭でも、結婚してからあまり餅などは作ったりしないという話を聞きました。
餅も胃に負担になるので、正月に一回食べればいい、むしろ食べなくてもいいぐらいです。
というか、私は小学生の時から、平常でないのがあまり好きではなく、クリスマス、年末年始とかが面倒くさい、年始の挨拶をしたりするのが面倒に感じるタイプで、毎日が平時で構わないと思っています。
ご馳走とか食べると胃や体の調子が悪くなるので、毎日通常食の方が調子が良いです。
おせちや餅作りも食文化ではある。
自分が疲れやすい方だから、負担に感じてまでしなくてもいいかなと。
やりたい人だけでやってくださいという感じです。