実家に行って農作業して、また自分家に帰ってきてただ家事だけをやる生活を交互に続けていると、実家で農作業していると生きているという感じがするけど、ただ家事だけの生活はつまらなくて死んでるような気がする。
こちらだとやることもないので、ただ健康のために、運動不足を解消するためだけに用もなく歩くのも馬鹿らしい。
お金のために働かなくても良いというのはありがたいことなんだけど、こちらではもし働くにしても資格のない主婦は工場か、スーパーかで、面白くもなんともない。
そんなにお金をかけることもできないので、たまに外食できるだけでもありがたいことだけど、娯楽といえばネットフリックスを見るぐらいで面白くもなんともない。
映像を見ていても、心の中には虚無が広がっているというか。
旦那が悪い人なら離婚して実家に帰っているだろうけど、いい人なのでそれもできない。
実家で農作業している方が喜びを感じる。
それも雇われ人のように9時5時で暑い日中に作業しないといけないわけではない。
朝や夕方の涼しいうちにできて、疲れたら自由に休める。
ただお金にはならない。
将来の金のために、老後のお金のために、離婚せずにここにいるのかな。
喜びを感じることは別にあるのに。
したいことは別にあるのに。
自分のしたいこと、欲求を抑えて、人の幸せのために動くと幸せになれると教えられたりもするが、本当なのかな。
このままここでしたいこともできずに、まだ元気な親を施設に入れて、田舎の土地を捨て、親に詫びながら自分は歳をとって死んでいくのかな。
断捨離すると、自分にとっての要るもの要らないものがはっきりしてくるという。
そんな過程で離婚する人も少なからずいるそう。
長い間捨てられずにしまっていたものを、ある時不意にどうしてこんなもの大事にとっておいたんだろうと感じて、捨てることがある。
負動産とさえいわれる、交通が不便で、消滅可能な自治体で、でも強く愛着を感じる実家の土地。
結婚せずに、子供も産まずに、実家の跡をついで死んでいった方が良かったかというと、そうではないし。
どうしたもんかな。