岡田斗司夫さんの切り抜き動画を時々見るようになりました。
21:28ごろから、宗教学者 島田裕巳さんの『神道はなぜ教えがないのか 』について話されています。
神道というのはあまりにも古すぎて、形しか残っていない、教義が忘れられしまっている。
古すぎて、行為や行動、形式しか残らなくなる。
神社で宮参り、クリスマスを祝い、初詣で神社に行き、寺のお坊さんに葬式をあげてもらい、結婚式場のチャペルで結婚式を挙げる、それは神道そのものらしいです。
そういう宗教ミックスにたいていの日本人は疑問を持っていない。
そういえば日本人の大半は、八百万の神、山にも川にも巨石、巨木あらゆるものに神は存在しているので御神体とか神座とかいうし、10月は神様たちが出雲大社に集まるので神無月と呼ぶし、トイレにも神様はいるし、「千と千尋の神隠し」でも川の神が出てきたり、腐れ神とかいろんな神様が湯屋にいく設定に違和感はないし、外でお腹がピンチの時には助けて神様と祈ってしまったりする、無宗教と言いながらも、多神教ではあるんですよね。
あらゆるものに神は宿るから、物は大切にして、他の国のように停電したら暴徒と化して打ち壊しにはいしったりはしない、よっぽどなことがないと物は壊さない、受験が終わった途端に教科書を窓から捨てたりはしないし、売り上げが上がらなくて閉店した自分の店を壊したりはしない。
尾崎豊の「15の夜」の歌詞だったか、「盗んだバイクで走りだす、夜の校舎窓ガラス壊して回った」という若者の鬱憤ばらしの歌詞は、衝撃を持って受け止められたように思いますね、そんなことはあらゆる物に神が宿る感覚がうっすらある人にはできないこと。
巨石を御神体としたりするように、AKB48のメンバーを神7と呼んだりするのも、宗教みたいなものだという岡田さんの捉え方は面白い。
キリスト教のように祀るものは教会や偉い人が決めるのではなく、信者の側がこれを神にすると決められるのは神道だというのは面白い。
私はAKB商法には否定的で、清純そうにみせるキャバクラの集金システムと思っていて、なぜあんなにアイドルに夢中になって運営にお金を貢ぐモテない男が多いのかよくわからないけれども。
貢ぎ男は、キャバクラの女の子は汚れていると思っていそう。アイドルは汚れていないと信じたい、だから応援する。
どちらも汚れていて男は金蔓と思っているのは同じだと思うんですけど。
どんなファンにも気のあるそぶりをして、引っ張って、お金を貢いでもらって、しれっと結婚するなんて、まともな神経の人にはできない芸当です。
いろんなすごいものを「神」と呼んでしまう、周りもそれを受け入れる、そういう風習は面白いです。
百均の使い勝手が悪い物に対しては、神は宿らなくて雑魚とか思っちゃいますが。
AKB48も宗教法人にすれば、税金も掛からなくて丸儲けですね。CDはお布施。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
エジプトもかつては多神教だったけど、太陽神ラーの頃から一神教に変わったとか。
私はどんな優れた教義の宗教でも、その団体を丸々信じないようにしています。
キリスト教のよくないところは、「懺悔」があることじゃないでしょうか。
悪いことをしても、「懺悔」すればチャラになる、許されるなんて考えは、日本人にはあり得ないですね。
あいつはあんなことをするやつだから避けるようにしようということは、末代まで語り継がれる、表面的には挨拶はしても深い付き合いは決してしないし、心は許さない。
キリスト教では、異教徒は皆殺しにせよ、仏像は焼け、寺は焼けと、教会が教えた歴史がありますね。
人を一番殺しているのは、キリスト教だとも。
人殺しの数についてはオウム真理教どころではない、カルト宗教だと思いますが。
https://www.youtube.com/watch?v=cPwLdzdVuZs
「何故日本のミ◯キーは人前で頭を取らないのか?」日本人といぅ民族はどうしてこんなにも”特殊”なのか?世界を戦慄させる特異な価値観と国民性の根底には…【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパス
0 件のコメント:
コメントを投稿